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jorro

雨露の如し

宝石になった日 私見

さて、ブログを始めて、やりたかったことの1つ、歌詞の解釈をしてみようと思います。
記念すべき1回目は、BUMP OF CHICKENの「宝石になった日」です。
アルバムButterfliesに収録されています。
それではいってみましょう。

「宝石になった日」とは一体いつ、どういう日を指しているのでしょうか。

宝石

まず宝石からイメージできる言葉を調べると、

宝石(ほうせき)とは、希少性が高く美しい外観を有する固形物のこと。一般的に外観が美しく、アクセサリーなどに使用される鉱物を言う。
...
宝石としての必須条件は何よりその外観が美しいこと、次に希にしか産しないこと(希少性)であるが、第三の重要な条件として、耐久性、とりわけ硬度が高いことが挙げられる。
...
経年変化により変色、退色しないことなどが挙げられる。
宝石 - Wikipedia

とあります。
加えて私は、「輝き」「長い時間をかけて作られるもの」というイメージを抱きます。

また、ダイヤモンドに限られる話ですが、「メモリアルダイアモンド」を想像します。
遺族やペットの遺骨から作るダイアモンドですね。
ただ、後述しますが、今回は「人の死」を含む別れではなさそうに思います。

つまり、宝石とは

  • 希少性が高い
  • 美しい
  • 固形、形のあるもの
  • 身につけるもの
  • 丈夫なため、時が経っても変わらない
  • 輝いている
  • 出来るまで時間がかかる

の象徴と言えるでしょう。

稲妻と掌

冒頭部分ですが、いきなり「僕」にとっての別れが歌われます。

夕立が屋根を叩いた唄 窓の外で世界を洗った
掌にはなんにもない ただなんとなく眺めて何分
 
宝石になった日 - BUMP OF CHICKEN - 歌詞 : 歌ネット

夕立がきて、雷が鳴り、雨が降ります。「僕」はその雨を家の中で感じ、降っている様を窓の内側から見ています。
「掌に何も無い」と確認するということは、夕立で得られる・もたらされる何かがあるのでしょうか。

また、「手」ではなく「掌」であることから、何となく両手の腹を空に向けて水を掬う形をイメージします。

君は夜の空を切り裂いて 僕を照らし出した稲妻
あまりにも強く輝き 瞬きの中に消えていった
 
宝石になった日 - BUMP OF CHICKEN - 歌詞 : 歌ネット

夕立と言われると、つい夕方くらいの時間を想像しますが、どうやら夜の夕立のようです。
ここで、君=稲妻と定義されています。では「稲妻」とは何を指すのでしょうか。

稲妻

唄では、稲妻は「切り裂いて、強く輝き、瞬きの中に消えていった」と表現されています。
また、落ちた時のインパクトや凄まじい音から、「衝撃」「轟音」という印象を受けます。
更に、『地震、雷、火事、親父』や、誰かが激怒した際に『○○の雷が落ちた』と表現することから、「怒り」も表現されていると思われます。

さて、歌詞に戻ります。冒頭部分からここまでを攫うと、
急な天候の変化、夕立がきて雷が鳴り、雨が降ります。雨を降らしているのは「君」ということになります。「雨」からは「涙」が想像できるので、悲しみを伴った怒りが「君」から「僕」に向けられた、と捉えられます。
稲妻と雨が降りしきる中、屋根のある建物に守られていた「僕」。第三者たる味方や外的要因、「僕」の「君」に対する心理的優位(「僕の方が正しい、偉い」)といった防御線(建物)があった。だから、雨にも濡れず傍観していたのでしょう。

子供の頃、夜の雷は夕方よりも静かで響いてより怖く感じました。
また、「20歳は人生を一日として見たら、まだ朝が始まったばかり」と言われたりしましたが、夜ともなると時間軸としてはかなり終盤。そして何の時間軸かといえば、「僕」と「君」の関係といったところでしょうか。

そして、稲妻の轟音と強すぎた輝きに驚き、おののいた「僕」は逃れるために目を閉じます。そしてその一瞬の間に「君」は消え去ってしまいます。
この夕立の中で掌を空に向けて得られるものは、「雨」つまり「君」の涙でした。
しかし、「僕」は「君」の怒りから逃げ、悲しみさえも受け止めることができなかったのです。

そうして、「僕」と「君」は別れるに至ります。

忘れられない日々

あとどれくらいしたら普通に戻るんだろう
時計の音に運ばれていく
 
あの温もりが 何度も聴いた声が 君がいた事が 宝石になった日
忘れたように 笑っていても 涙越えても ずっと夢に見る
 
宝石になった日 - BUMP OF CHICKEN - 歌詞 : 歌ネット

「夕立」を思い返し比較して、現状が普通でないと認識しているということは、「僕」にとって別れは衝撃的で悲しいものだった、ひどく落ち込んでずっと後悔している、というところでしょうか。
時計を見もせず、聞こえてくる音に”運ばれていく”のですから、とても受動的ですね。相当気が滅入って時間だけが過ぎていっています。

サビの一行目は後述です。その後はそのままですね。「僕」は「君」のことを忘れられないまま過ごしています。

余計なお世話

太陽は何も知らない顔 完璧な朝を連れてくる
丸めた背中で隠して 冴えない顔 余計なお世話
 
宝石になった日 - BUMP OF CHICKEN - 歌詞 : 歌ネット

夜 ⇔ 朝という対比があり、光を発し「僕」を照らすものとして、稲妻 ⇔ 太陽の対比があります。
では、完璧な朝とは何でしょうか。逆に、完璧じゃない朝というと、雨が降っていたり、霧がかっていたり、というところでしょうか。つまり、完璧な朝とは、晴天で朝日の射す一日の始まりであると捉えられます。
よって、「君」と再び・・・という訳ではなく、新たな出会い=太陽が「僕」にあったと考えます。
ただ僕は、猫背になり、卑屈になり、「君」との別れで自身が失くなってしまったように思えます。

全自動の日々

出来る事はあんまりないけど 全くないわけでもないから
全自動で続く日常をなんとなく でも止めないよ
 
宝石になった日 - BUMP OF CHICKEN - 歌詞 : 歌ネット

2つの1つである「君」はもういないから、出来る事はあんまりない(機会が無い)。 とはいえ、もう1つの「僕」はいるわけだから、出来る事はある、でも自信がない(能力が無い)。→「全くないわけでもない」となるのでしょう。
「君」がいなくても、続く日常がある。「僕」が自信を失くし、冴えない顔でも続く日常がある。
そんな日常を「止めないよ」と言っています。これは、「自暴自棄になって、自分を見捨てない」というような強い意志を感じます。

出来るだけ先

出来るだけ先の未来まで見届けるよ
出来るだけ先に運んでいくよ
 
宝石になった日 - BUMP OF CHICKEN - 歌詞 : 歌ネット

ここは後悔の念が色濃く滲んでいます。

2つの”先”はそれぞれ別の意味を指しています。1つ目の”先”は「遠く」、2つ目の”先”は「早く」、つまり「僕」は、”出来るだけ遠くの未来を見据える””出来るだけ早く運ぶ”ことを望んでいます。
言い換えれば、「可能な限り」ですが、ではなぜ「僕」は「可能な限り」という願望を持つようになったのでしょうか。
それは、あの夕立の日があったからに他なりません。「僕」はあの夕立の日から、日常がまるで全自動のように無為に過ぎていくくらいに、ずっと後悔して、ずっと考えてきたのです。

そして、あの夕立の日、何も持っていなかった掌を思い返して、決心したのです。可能な限り早くから、たくさんのものを持っていこう、と。愛情や、感謝、夢、覚悟をいつでも伝えられるように。

寂しさ

こんなに寂しいから 大丈夫だと思う
時間に負けない 寂しさがあるから
振り返らないから 見ていてほしい 強くはないけど 弱くもないから
 
宝石になった日 - BUMP OF CHICKEN - 歌詞 : 歌ネット

寂しいと感じなくなることが、一番寂しい。言うなれば、寂しい人間と言えるでしょう。でも、どれだけ時間が経っても、失くならない「寂しさ」を持ち続けていられる人であれば、ずっと人の出会いを大切にできるから、大丈夫。「君」のこともずっと大切でいられる。

掌の下

瞬きの中 消えた稲妻 雨が流した 君の足跡
瞬きの中 掌の下 言葉の隙間 残る君の足跡
 
宝石になった日 - BUMP OF CHICKEN - 歌詞 : 歌ネット

再び、「僕」は夕立に遭ってしまいます。あれ?「君」とやり直すことができたのでしょうか?それとも冒頭部分の繰り返しでしょうか?
いいえ、恐らくこの節での「君」は、「夕立の君」ではなく、「太陽の君」なのだと思われます。

つまり「僕」は「太陽の君」へ、『もう過去のことを悔やまないから、今の「僕」を見ていて欲しい』と言います。
そこには、窓の内からずっと傍観する「僕」の姿はなく、自分の強さも、そして弱さも知っている一回り成長した「僕」がいます。

ですが、そんな「僕」にもまた稲妻が訪れます。「足跡」とは、『「僕」と「君」との思い出』や、『二人近づき合った証』なのでしょう。でも、その足跡も雨が降れば流れて消えてしまいます。
ただ、今回の「僕」は違いました。掌にはきっとたくさんのモノを持っていたからです。「君」の涙を受け止める事ができた掌の下には、流されなかった足跡が残ります。「君」も消え去る事はありませんでした。

掌とは別の要素である「言葉の隙間」も君を留めた決め手となっていそうですが、一体何を指すのでしょうか。

言葉の隙間

増えていく 君の知らない世界 増えていく 君を知らない世界
君の知っている僕は 会いたいよ
 
宝石になった日 - BUMP OF CHICKEN - 歌詞 : 歌ネット

この節での「君」は、また「夕立の君」に焦点が変わっています。
お互いがそれぞれ知らない場所で、知らない人と新しい世界を次々と構築していっています。

しかし、ここでまたしても文が繋がりません。「君の知っている僕」ということは、夕立に遭って悲しみを受け止められなかった「僕」のことでしょうか。その「僕」が「会いたいよ」と言うのはおかしいです。

恐らく、この「会いたいよ」の前には「言葉の隙間」があります。ニュアンスは異なりますが、いわば「行間」です。「行間」が文語であれば、「言葉の隙間」は口語でしょうか。
「言葉の隙間」を感じ取るということはすなはち、ある言葉と言葉の文脈から、言葉にせずとも伝わるニュアンスや真意を伝えるor読み取ると言えるでしょう。簡単に言えば、言わなくても解るor解ってもらえることとなります。
「言葉の隙間」をお互いが感じ取ることができていたから、「君」の足跡は残ったのでしょう。

そして、この節での「言葉の隙間」は、

君の知っている僕は (、もういません。あなたのおかげであれから僕は成長しているからです。あなたもきっと素敵になっていることでしょう。今でも大切な君に僕は) 会いたいよ

となるのではないでしょうか。確かにわざわざ言葉にしたい気持ちではないように思います。

大きな寂しさ

ひとりじゃないとか 思えない日もある
やっぱり大きな 寂しさがあるから
応えがなくても 名前を呼ぶよ 空気を撫でたよ 君の形に
 
宝石になった日 - BUMP OF CHICKEN - 歌詞 : 歌ネット

過去の過ちを乗り越えることが出来た今でも、やはり不安は拭いきれないのでしょう。
大きな寂しさ」とは「夕立の君」とのことですね。もちろん呼んだ名前も、「君の形に」も同じです。
これは私見ですが、寂しさが消えない事は、悪い事ではないと思います。むしろ良い事なのではないかなと。人はいつだって慢心したときに誰かを傷つけるものだと思います。
「僕」はひとりなのだろうか、と不安になって寂しくなったとき、「君」の名前を呼ぶと言います。例えそれが面と向かってでもなく、電話越しでもなく、もう会う事のない人だとしても。
「僕」の声は、空気を振動させ、「君」を形づくります。そうやって、「僕」は自分がひとりじゃないことを確かめているのではないでしょうか。
あれ、あの人のことどんな風に呼んでいたっけ、そうならない日が来ないように。

宝石になった日

あの温もりが 何度も聴いた声が 君がいた事が 宝石になった日
忘れないから 笑っていける 涙越えても ずっと君といる
 
君がいた事が 宝石になった日
 
宝石になった日 - BUMP OF CHICKEN - 歌詞 : 歌ネット

サビです。ここでは空間的、時間的なものが「宝石になった」と言っています。「君」の事が宝石になったと言わないのは、「君」が亡くなったわけではないから。
それは、稲妻も雨も生きた感情であり、死の衝撃ではないと捉えられるからです。

では、「宝石になった」というように、なぜ敢えて「日」であることが何度も歌われているのでしょうか。
別に、「宝石になった」という歌詞でも違和感はありませんよね。

これは恐らく、今現在『あとどれくらいしたら普通に戻るんだろう?』と寂しくて悩んでいる人に向けたメッセージなのではないかと思います。
『宝石になるから大丈夫だよ』と言われるよりも『いつかきっと宝石になる日がくるよ』と言われた方が、より安心感が増しませんか。
宝石になるには、長い時間が必要なのですが、真っ只中に居る人にはそうは思えないのでしょう。

また、何を「忘れない」のかというと、「寂しさを忘れない」ということだと思います。
寂しさがあったからこそ、今が楽しいのです。寂しさを知っているからこそ、寂しさのないことが楽しく、笑っていられるのです。

そして、次の歌詞に繋がります。「涙越えても」という歌詞は2回出てきますが、1回目が「僕」の涙であったのに対して、2回目は「君」の涙です。
しかもここでいう「君」は、「太陽の君」であり、「太陽の君の涙」であると言えます。
つまり、寂しさを忘れなかったおかげで、「太陽の君」の涙を乗り越えることができ、今もこうしてずっと一緒にいるのです。

最後に

「宝石になる」とはどういうことだったのでしょうか。
それは、空間的・時間的なものが、しっかりとした形になることだと思いますし、美しくて時が経っても色あせない傷つかない宝物ということでしょう。
しかし、一番強く思うのは、「光輝く」ことではないかと思います。
稲妻も、太陽も、宝石も光り輝き、「僕」を照らし出します。照らし出すというのは、自分で自分を見つめることだと捉えられました。

『あの時、君と付き合っていた僕は、わがままで、自己中心的で、人の気持ちがわからない人間だったなあ。』と思う事はありませんか。そうやって、そのときの自分を照らし出すことができるとき、あなたの側には美しく光り輝く宝石があるのです。

 

 

いかがだったでしょうか。
始めて書く割には、気合い入れて書き過ぎだった感があります・・・。

基央さんのインタビューであった気がしますが、「自分の経験した以上のことは書けない」と仰っていました。
解釈するときもそうで、「自分の経験した以上のことは理解できない」のだと思います。
それ故に色んな解釈ができますね。

私も、「君」と出会っていなければ、このように解釈することはできなかったでしょう。